Capacitive-shunted flux qubitを用いた量子アニーリング

この記事の概要

この記事はMatsuzaki et al., 2020, “Quantum annealing with capacitive-shunted flux qubits”の理解を深めるためのアウトプットとして作成されたものです。

Capacitive-shunted flux qubits (CSFQ)

構成回路図

Capacitive-shunted flux qubit (直訳するとコンデンサによりノイズを排除した磁束量子ビット)はYou et al., 2007, “Low-decoherence flux qubit”により考案されたもので、回路図では下図のように表現されます。
3つのジョセフソン結合からなる閉回路に外部磁場を加えることで、量子ビットとしての性質を持たせることができます。2つのジョセフソン結合は結合エネルギーと静電容量を持っています。そして3つめの(小さな)ジョセフソン結合はを持ちます。ここに、小さなジョセフソン結合と並列に静電容量のコンデンサを繋ぎます(図の緑線部分)。これによりb部分とc部分(図の赤線部分)による蓄電エネルギーを減らすことができます。このコンデンサのことを、ノイズを排除する役割を担うという意味を込めて"shunt capacitor"と呼びます。

エネルギー準位

下図は、この回路におけるエネルギースペクトルを図示したものです。
横軸はのように磁束量子で規格化された外部磁場の磁束の大きさ、縦軸はエネルギーです。それぞれ基底状態から第3励起状態までを表示しています。各パネルはとした場合、そしてとした場合です。ここではジョセフソン結合の帯電エネルギーです。の値を小さくすることにより、基底状態と第一励起状態のエネルギーギャップを開くことに成功しています。

コヒーレンス時間

以上の研究結果によりコヒーレンス時間がにまで伸びることが確認されています。その後の研究で2D CSFQや3Dトランズモン量子ビットが開発され、それらはのコヒーレンス時間を達成しています。下図は2018年までに開発された超伝導量子ビットのコヒーレンス時間(位相緩和時間)の開発の歴史をまとめたものです。
最近では2019年にNTTが3D CSFQを開発した論文が発表されています。まだまだ開発途上の段階にあるCSFQは、次世代の量子情報デバイスの担い手になるのではと期待が寄せられています。

CSFQで通常の量子アニーリングを実行することの困難性

これまで見てきたように、コヒーレンス時間の長さからCSFQは量子アニーリングを始めとする量子計算に用いるのに有利なのではな以下と考えることができます。しかしCSFQで通常の量子アニーリングを行うには、以下の2つの困難が存在します。
  • 通常の量子アニーリングに使う磁束量子ビット(FQ)の電流がマイクロアンペアなのに対して、CSFQの電流はナノアンペアの大きさ程度です。するとイジングハミルトニアンの外部縦磁場によるゼーマンエネルギーのオーダーに比べて、スピン間相互作用エネルギーのオーダーが極端に小さくなります(これを弱結合と呼びます)。量子アニーリングではこの2つの項のオーダーが同じ大きさで表現される必要があります。
  • CSFQのコヒーレンス時間が最も長くなる最適動作点(基底状態と第一励起状態のエネルギーギャップが最も小さくなる点)において、イジング型の相互作用だけでなく別の相互作用(フリップフロップ相互作用)も現れます。量子アニーリングではイジング型の相互作用だけが計算の最後に必要となるため、別の相互作用が存在すると解が正しく求まらない原因となります。

スピンロックによる量子アニーリング

この手法のメリット

上述の理由から、CSFQで通常の量子アニーリングを実行することは困難です。しかしNMRで用いられるスピンロック法を用いれば、これらの問題を解決することができます。
  • スピン間相互作用がゼーマンエネルギーに比べて小さい問題は、強い回転横磁場と同じ角速度で回転する座標系での有効磁場(スピンロックの基礎の章参照)を考えることで解決されます。回転座標系に移ることで縦磁場を調整し、これを弱めることができます。
  • フリップフロップ相互作用は量子ビットのスピンを反転させる振動数と、スピンロックさせる回転磁場の振動数を調整することで、抑制することが可能です。
そもそもNMR量子ビットで量子アニーリングを行えば良いのではないか、という疑問も浮上します。しかしNMR量子ビットはスケールさせることが難しく、これで量子アニーリングを行う実用的な利点はいまだに不明です。このような理由から、Matsuzaki et al., 2020ではCSFQでスピンロックによる量子アニーリングを提案しています。

スピンロックの基礎

ここではNMRのスピンロックの概要をご説明します。

パルス(90度パルス)

原子核に方向静磁場を加え、核スピンによる磁気モーメント軸に揃えておきます。そこに核スピンと同じラーモア周波数と同じ周波数で平面内に回転磁場を加えます。するとは下図のように軸周りに螺旋運動を始め、その傾きをだんだんと大きくしていきます。
この回転磁場を加える時間を調節することでちょうど傾いた(平面内で運動している)状態にすることができます。この回転磁場のことをRFパルス、そして回転させるRFパルスをパルスと呼びます。

スピンロック

パルスを加えた直後に、再び核スピンのラーモア周波数と同じ周波数の強い回転磁場を、平面の方向に加えます。すると平面内で、の向きと回転磁場の向きが常に同じになります。このとき、回転磁場と同じ角速度で回転する回転座標系に移って考えてみましょう。すると、元々加えていた静磁場とあとに加えた回転磁場は静止して見えるため、磁気モーメントはこの2つを合成した有効磁場を感じてラーモア歳差運動をするようになります。これをスピンロックを呼びます。このような手続きから核スピンを平面内のある方向(下図では軸方向)に揃え、それを維持する手法をスピンロックと呼びます。

スピンロックを用いた量子アニーリング

以上を踏まえて、スピンロックを用いた量子アニーリングを見ていきましょう。以下にスピンロック量子アニーリングの手順を示します。
  1. 量子状態を用意します。
  1. パルスを照射し、とします。ここではパウリ行列の固有状態です。
  1. 方向の交流磁場によってスピンロックした後に、この横磁場を消していき徐々にイジングハミルトニアンの効果を入れていきます。
  1. 最後に、量子ビットを測定すれば、求めたかったイジングハミルトニアンの基底状態を得ることができます。
手順3に用いる、ユニタリな時間発展を記述するハミルトニアンを以下に示します。
ここで番目の量子ビットを反転させる振動数、はラビ振動数です。は量子ビットが持つエネルギーを表すハミルトニアン、は量子ビットにかける振動横磁場(Driving項)、は求めたい問題のハミルトニアン(ここではイジングモデル)、そして、はフリップフロップ相互作用によるハミルトニアンです。スピンロックは回転座標系に移って考えます。ユニタリ変換より、回転座標系では高速振動するに比例した項は無視することができます。これを回転波近似(Rotating Wave Approximation,RWA)と呼びます。この近似の元では、普通の横磁場量子アニーリングと等価になります。

数値実験

ここではのような場合の1次元イジングモデルの場合に対して、数値シミュレーションを行いました。この場合、基底状態はとなります。
上図は横軸がアニーリング時間、縦軸は基底状態からのズレ(1: 基底状態が求まっていない、0: 基底状態が求まっている)を示した図です。が大きいほど回転波近似がよく成り立ち、基底状態がよく求まっていることがわかります。

結言

今回はスピンロック技術をベースとした量子アニーリングをご紹介し、それを実行するハード技術としてCSFQにも触れました。

参考文献

  • [1] Matuszaki et al., 2020, “Quantum annealing with capacitive-shunted flux qubits”
  • [2] APS Meeting, “Quantum annealing with spin lock technique”
  • [3] You et al., 2007, “Low-decoherence flux qubit”
  • [4] Abdurakhimov et al., 2019, “A long-lived capacitively shunted flux qubit embedded in a 3D cavity”
  • [5] 大規模量子計算に向けた超伝導量子回路の作製技術
  • [6] 瀧川仁, 第54回物性若手夏の学校, 2009年度講義ノート, “核磁気共鳴とその固体物理学への応用”